2019.04.16
つたえる 2019.04.16 No.54
 2019年最初の「つたえる」です。前号より間隔が空いてしまったことをお詫び申し上げます。
 2011年3月11日に発生した東日本大震災から先月で8年が経過しました。そして、今月は2016年4月に発生した熊本地震から3年となります。
 被災の状況や地域は異なりますが、多くの被災された方々が様々な状況下において課題を抱えながら生活を送られています。
 「安定」という、本来生活していく上で必要なこと(住居、経済、心理的、健康、就業、就学、地域との人付き合いなど)を考慮した際、果たして継続して支えていく仕組みが制度として足りないのではないかと常に感じています。被災された方々一人一人の状況をふまえず、時期や地域で一律で助成制度の終了や支援策の削減が進められることに深く疑問を持っています。
 近年、「災害ケースマネジメント」の重要性が主に弁護士会を中心に提唱され、支援に関わる多くの職種や行政に検討や確立の推進が問われています。
 当協会としても今後も活動を継続していきます。

東京都医療社会事業協会 災害支援対策委員会
委員長 加藤 淳(牧田総合病院)


[1] 8年目を経て
災害支援対策委員会 加藤 淳(牧田総合病院)

 この文章は、昨年の9月4日に日本教育会館で開催された「広域避難者支援ミーティングin東京」にて、お話しさせて頂いた内容を基にまとめたものです。
 今回、2019年4月という時期だからこそ、敢えて掲載させて頂きます。

 本ミーティングのテーマは、「2020年を超えてつなげる支援のかたち」です。復興庁が終了する2020年を境に支援体制が大きく変わり、制度による支援も減るであろうと想定され、支援体制の変化に対し、支援団体として何ができるか検討するために開催されました。
 当日は医療ソーシャルワーカーの役割や東京都医療社会事業協会の災害支援活動について説明するのと併せて以下のことを述べさせて頂きました。

 2011年3月の東日本大震災を契機に協会内「震災支援対策委員会」(2016年4月より「災害支援対策委員会」に名称変更)が発足され、委員長として現在も務めさせて頂いています。
職能団体の理事として、もしくは自分個人としても「東京都の医療ソーシャルワーカーとして出来ること」を意識して支援活動に取り組んできました。
MSWの存在を周知してゆくことや、支援者・当事者含め様々な方々と関わることに務めてきました。
 当事者団体に関わる経緯として、2012年の上旬頃、これまでの活動の中で不全感を感じていました。
 「避難された方々に東京都の医療ソーシャルワーカーとして出来ることはないか」
 2012年の7月から社協主催の避難者交流サロンに参加させて頂き、その後も当事者団体やいくつかの地域のサロンや交流会、避難された方々向けのクリニックによる相談会の参加させて頂き、現在に至っています。
 避難された方々との8年間の関わりの中で感じることは、『「変化」というより、早く安定を』というのが正直な気持ちです。
 「安定」とは本来生活していく上で必要なもの(住居、経済、心理的、健康、就業、就学、地域との人付き合いなど)であり、早く「当たり前の日常」を取り戻すことは大変重要なことですが、その「安定」を支える仕組みが足りないというのが私自身の実感です。時期や地域で一律に物事が進むことに疑問に感じます。
 2016年頃から、「自立」という言葉が様々な場面で当事者の方々より聞こえてきました。
 それも「自分達も自立しなくちゃ」というため息まじりの声。そのことが凄く気になりました。もちろん、自立は悪いことではないのです。ただし、本来、自立は一人だけで行うものではなく、個人の「自立」を支えるには周囲の大きな力が必要なのではないでしょうか。
 実際に相談会・交流会など、震災から数年たって初めて参加する人や、今までにどことも繋がっていなかった方々も多数います。
 私個人の実感ですが、避難者の課題は、時の経過と共により細分化し、より複雑化し、より遡上に上がらなく(目に見えない被災)なる。また支援者・当事者共に「共有・共感出来る課題」が減ってくるのではないかと感じています。
 医療ソーシャルワーカーという立場としての視点から、「社会環境・状況の変化(例えば疾病や傷害)」が「当事者の全人的負担」と「健康被害」に強く影響を及ぼし、QOLの低下に繋がり、様々な課題が生じてくると考えます。
 「災害」によって今の現状と課題があることを忘れてはなりません。なぜ、そのような現状であるか、震災発生からこれまでの経緯・背景を理解しなくてはならない。
そして、時の流れ・制度や施策の変化がいかに影響するかを強く認識しなくてはなりません。
 今後の大きな課題として、これまで避難者支援に関わる機会が少なかった関係機関(役所関係、地域包括支援センターなど)を巻き込んでいくことが重要となっていきます。
 それには被災者の現状、課題をより理解してもらう必要があります。
 現状として、避難者支援に関しても自治体ごとの対応が異なります。震災直後においても、避難先自治体ごとの対応の違いについて、当事者の方々が話されていたことがあります。その違いの差に関して、もちろん財政的な問題や避難者の数など様々な理由あるかもしれませんが、被災者の現状をどれだけ認識しているかも関係してくるのではないでしょうか。
 例えば、住民票が元の被災県にある避難者のおむつの助成制度利用に関しても、自治体ごとに対応が異なります。
 このことはあくまでも一例に過ぎないのですが、個々の状況によって課題が異なります。
 「災害ケースマネジメント」という考え方通り、被災者一人一人に沿った支援は、単独の支援者・支援団体で出来るものではないです。それは普段のソーシャルワーカー業務に通じるかと思います。
 だからこそ、様々な行政組織や団体との協働が必要となっていきます。
 私個人としても今後も多くの方々と関わらせて頂ければと思っています。
 そして職能団体として当事者は当然のこと、各関係機関に「医療ソーシャルワーカー」の存在を周知していくことも役割の1つです。医療機関に社会福祉の相談員がいることの強みだからです。
 もちろん、協会としても課題があります。
 MSW自身、避難された方々の現状や経緯・背景を認識し、状況を共有していく努力を図る必要があります。
 協会会員(=都内の医療ソーシャルワーカー)に伝えてゆくこと・巻き込んでゆくことと同時に、関係機関を巻き込んでいきたいと望んでいます。
 「今は必要ないかもしれないが、10年後には皆にとって必要となるかもしれない」、ある避難者の方の言葉が強く残っています。
 私自身として、職能団体として、今後も出来ることを務めさせて頂きます。

[2] 東京都災害福祉広域支援ネットワーク連携訓練に参加して
災害支援対策委員会 山我 香子(三宿病院)

 2018年11月20日(火)、飯田橋にて開催された「平成30年度 東京都災害福祉広域支援ネットワーク連携訓練」に委員2名で参加しました。
 訓練参加者は東京都福祉保健局、東京都社会福祉協議会、区市町村社会福祉協議会や職能団体、オブザーバーなど80名弱で、それぞれグループに分かれ、私達の職能団体は2グループで訓練を実施しました。

 まず初めに「東京都災害福祉広域支援ネットワーク」について概要説明がありました。
広域支援ネットワークの目的は、大規模災害時において高齢者・障害者等の要配慮者に対し緊急的に対応を行えるよう、東京都福祉保健局、区市町村、東社協、区市町村社会福祉協議会、東社協施設部会、福祉専門職の職能団体が一体となって、東京都災害福祉広域支援ネットワークにおける取組を推進することで、災害対策の強化を図ることとされています。平成25年10月にネットワークを立ち上げ、平常時からの活動の検討・実施を行い、顔の見える連携・課題の共有を図り、発災時の取り組みを図っていくよう取り組んでいます。

 次に「2015年関東・東北豪雨~水害を経験して~」と題して社会福祉法人筑水会 特別養護老人ホーム筑水苑・前施設長 長尾 智恵子氏より事例提供がありました。
 2015年9月10日、鬼怒川堤防が決壊し水害に襲われ、浸水から33時間後には施設での生活が困難と判断し、同法人の有料老人ホームへ利用者を搬送。避難勧告が出ていた時点で対応すべきだったと振り返っていました。
 災害から学んだこととして、指揮命令系統の一本化を図る、職員間の情報を統括できるようチームで動く、内部と外部の連絡方法や役割分担の確立、災害備品の見直し、火事や水害、地震、竜巻などいろいろな災害を想定し訓練を行う(災害が長期戦になった場合も考慮)ことがあげられ、また地域のハザードマップや防災無線の確認も必要と話がありました。
 また災害から2年後、職員だけでなく地域を巻き込んで訓練を行っているとのことです。
 常に繰り返し喚起することにより、忘れさせない、「もう災害は起こらない、自分だけは大丈夫」の意識を変えていく、自分のことは自分で守り、地域の力を結集して守る心構えを持ってもらうことを目的としたそうです。

 話を伺い、いろいろな場面を想定し、訓練を繰り返し行うことが大切であること、いざという時のために体や頭に叩き込ませることが「災害を忘れない」につながると思いました。
 当協会でも災害時伝達訓練を実施しましたが、現状での問題点を分析し、課題を検討しながら活動していきたいと思いました。

 次に「平成30年7月豪雨 被災地支援活動報告」が東京都社会福祉協議会知的発達障害部会 岩田 雅利 氏より行われました。
 同部会は、東日本大震災では平成23年3月から約4年間、夏休みのこどもクラブ、各施設の利用者支援、特別支援学校の送迎など支援活動を実施。平成28年4月熊本地震では約2か月間、職員を派遣。平成30年7月豪雨災害の時にも約2か月間、2台の送迎車を運転し、派遣者が送迎支援を行っています。
 被災地派遣の心構えや注意点として「きちんとした支援が出来ていない」と、外部から見られてしまう被災地の思いをうけとめることが大切であること、こちらから押し付けてはいけないこと、外部の人に支援を頼むのはハードルが高いことを理解する、また派遣者の精神的なフォローを行うための説明やオリエンテーションが必要だと話がありました。
 派遣活動実施にあたり判断基準の確立、日頃からの顔の見える連携、人を送る仕組み作り、手が届いていない所での活動を心掛けているとのことです。

 事例報告後、グループワークが行われ、プログラム1では大規模災害時の福祉施設・福祉避難所の状況理解、福祉避難所において被災施設職員、外部応援専門職、その他支援者(ボランティア等)や介助者は、それぞれどのような役割を担えばよいのかを検討しました。

【課題】
・障害の特性によるケアの違い
・脱水や転倒などによる健康面の管理
・「衣食住」など衛生面の問題
・物資の不足
・マンパワー不足
・避難者の受け入れ体制
・元の生活に戻ってもらう運営の仕方
・帰宅支援を行う人手が少ない
・交代要員、応援要員、施設職員の休息
・様々な住民が来た時の対応
・避難所の温度管理
・ボランティアのマネジメント、命令系統

 上記の課題を解決するために、外部支援をどこまで求められるか。被災施設職員でないと出来ない事、外部応援専門職に依頼できる事、家族など介護者に依頼できる事、その他支援者(ボランティア)に依頼できる事は何かをグループで意見交換しました。
 それぞれの方達に依頼できることは重なる部分が多く、普段から受援を意識した業務の取り組みが必要だと感じました。

 プログラム2では大規模災害時の福祉専門職の応援派遣について、東京社会福祉士会、東京都介護福祉士会、東京都介護支援専門員研究協議会、東京精神保健福祉士協会、東京都医療社会事業協会の5団体により協議・確認が行われました。
・職能団体として、それぞれが会員の被害や支援ニーズをどのように把握するのか?
→現在はメールや電話によるとりまとめが多い
団体によっては会員数が多く、個人のメールアドレスを把握出来ていない
勉強会などで規模の大小でなく、どのような情報でも職能団体に情報をいれるよう伝えている
・東京に職能団体の本部を置いている所が大半→東京が被害にあったらどうするか検討必要
・日頃から取り組むべきこと→協力したい人への養成研修、派遣時に休める環境の検討
・派遣する場合、長期的に支援できる視点が必要(2-3日でなく週単位で)
・自分のやり方をおしつけない、出来ていないことを言わない

 今回、訓練に参加し、普段から、業務内容の振り分けを意識することが必要だと感じました。
 自分達でないと出来ない事、他の病院のMSWに依頼出来る事、MSWでなくても依頼出来る事、また日常業務で必ずやらないといけない事、優先順位の高い事は何かを個人で考える事はもちろん、職場で話し合い、意見をまとめておくことが災害時の動きにつながると思いました。
 また5団体で連携し、それぞれの専門職の強みを理解し、災害時に活動・支援できるよう、今後も研修等に参加して意見交換し、当協会としてMSWとして何が出来るのか、何をすべきか考えていくことが重要だと感じました。

[3]災害支援対策ワークショップ「HUG(避難所運営ゲーム)」報告
 2019年2月16日(日)、災害支援対策ワークショップとして「HUG体験研修」を実施しました。
 HUGとは「避難所(H)運営(U)ゲーム(G)」の事で、避難所運営を皆で考えるためのアプローチとして静岡県が開発したものです。
 避難者の年齢や性別、国籍やそれぞれが抱える事情が書かれたカードを、避難所の体育館や教室に見立てた平面図にどれだけ適切に配置できるか、また避難所で起こる様々な出来事にどう対応していくかを模擬体験するゲームです。
 昨年3月の石巻赤十字病院の研修において初めて体験したことをきっかけに、当協会でも実施すべく、準備を進めてきました。
 以下の感想にもある通り、災害時におけるソーシャルワークの在り方を疑似体験する貴重なツールと成りえることを改めて実感しました。
 今後も体験研修を実施していくと同時に、各ブロックの活動においても取り入れることが出来るよう、災害支援対策委員会として推進していきたいと思います。
やってみた!HUG=避難所・運営・ゲーム
災害支援対策委員会 武山ゆかり(豊島区医師会)

 とっても寒い土曜日の午後、都協会事務所に集まったのは、7人。昨年石巻市での研修のひとコマでこのゲームを経験した4人と、震災当時仙台市で暮らしていた方1人を含むゲーム未経験者3人。6~7人のグループを予定していたが、申込み後欠席者が相次ぎ、急遽4人のチームにファシリテーター2名、全体の記録者1名、ゲーム時間は1時間で進めることになった。この1時間は、「本番」と思って真剣に取り組むこと、を災害対策委員長の加藤淳さんから真剣なまなざしで断言され「ゲーム」が始まった。まず、災害の見舞われた状況や避難所の対応エリアのかんたんな説明、避難所になる小学校の見取り図、時間は発災後4時間程経過後の午後、外は冷たい雨、気温は7度。4人で避難者の受付の場所と全体のリーダーをまず決めて、見取り図を睨んだ。すぐそこへファシリテーターから、避難者カードが渡される。90代を含む3世代家族A地区1班。すかさず受付メンバーが、「トイレに近い寒くない場所」と配置を指示、メンバーがカードを体育館の通路を想定して区分けした場所の一つに置く。すかさず次のカード「30代夫婦、トイレの管理をお願いするため屋外トイレに近い入り口付近」瞬時にカード配置。「熱のある人を含む家族」「重度障害の子どものいる家族」「生後20日」「インフルエンザ児」など問題を抱えた家族の避難、総理視察!!外の人の食事要求と目まぐるしく来る「要望」をさばき、保留や事案や気がかりな人の記録はさっと記録・掲示係に廻ってくれたKさんの判断に敬服!リーダーは全体の配置に目を配りながら、一度体育館に誘導した幼児連れ家族を2階の教室に移動を決断。
 しかし、親が不明の幼児は、同地区の別家族に依頼し体育館に残すなどの指示。犬、猫、ハムスター連れの対応に苦慮したところで、今日は所定の時間終了。この間は暖房も止め、セーターも脱ぎ、「MSW」と書いた腕章を巻き…。あっという間の1時間。
 終了後お茶を飲みながらクールダウン。前回リーダーになり立往生した経験談や次々来る家族に戸惑う内に大渋滞した話から、今回時間内にかなり対処できた要因を話し合った。
 同じMSWとしての価値観「早く温かく落ち着ける場所に」「エコノミー症候群や感染症などの危険予備軍に配慮」「子どもを、みんなで看る」などの視点、配慮が共通して持てていたこと、役割の補完が完璧に出来ていたこと、などがあげられ、多少テンパりながらも、信じ合えて動けたことが確認できた。それぞれの役割を見つけ果たせたことを評価し合い「これが現実だったら!」と不安の中で動く仲間の気持ちをまさしくHUGし合いながら終えることができたゲームだった。



小村 惠子(三宿病院)

 HUGというゲームを初めて体験しましたが、時間が経過していくのを早く感じました。
 今回、見知った方や災害支援経験のある方とチームを組ませて頂いたので、約1時間でゲームを終える事が出来ましたが、様々な状況の被災者を、避難所のどこで過ごして頂き、どの様な配慮が必要か、また、外部からの対応、SWが何を基準に動くのか、チームワークの大切さ等、改めて考えさせられる事が沢山ありました。また、職務の場だけではなく、地域住民として避難所運営に携わる可能性がある中、SWとして何が出来るかという部分も、今後の課題だと思いました。自分の職場や住んでいる地域を知り、地域の医療機関として関係機関と連携し、地域住民と顔の見える関係を築く事は、避難所運営において欠かせない事だと思いました。HUGは正解のないゲームですし、メンバーによって異なる結果になる為、今後も回数を重ねて新たな学びを多くの方と共有していきたいです。

[4] ふれあいフェスティバル 桜を待つ3月に
~避難者と支援者の「広域避難者交流会」に今年も200人以上が参加~
災害支援対策委員会 武山 ゆかり(豊島区医師会)

 あの日から1週間後の3月17日(日)茨城・埼玉・山梨・神奈川・西東京都バスを連ね、また電車を乗り継ぎ、たくさんの方が飯田橋レインボーホール(東京ボランティア・市民活動センターのあるビル内)に集まられました。昨年までは天候に恵まれ、広い公園で故郷の物産や懐かしいお汁のふるまい、野外ステージでの浪江音頭や双葉音頭にわいたのですが、今年は天候により延期、室内になりました。
 その分相談もパーテーションで囲まれてのコーナーがあり、今回は深刻な内容にも対応できました。福島で、何回かの転居の後、昨年は家賃補助打ち切りにより新たな場所へ。そして転校したお子さんが…、といった微妙な心理を理解し受け止めてくれない学校や周囲の方の間で苦しむお母さんからの相談が複数ありました。当日だけでは解決できない相談は、引き続き支援を続けることになりましたが、ほかにも、参加した皆さんに相談を寄せていただけるように「医療ソーシャルワーカーによる電話相談」の案内のアナウンスとチラシ配布をしていただきました。ただ懐かしい顔に会えるというだけでなく、故郷へ帰ることへの半ば諦めといつかは、という希望との間で、揺れる気持ちを聞いて欲しくて、またほかの人はどう思っているのか聞きたくて…と、いくつもの語らいの輪が出来ていました。夫や老親との長い別居生活の不安も胸に、でも前を向かなくちゃあと話す方に、かける言葉が見つからない毎回ですが、そんな気持ちの受け止めになるだけでも、と参加を重ねています。去年、浪江音頭を浴衣姿で踊っていらした方が、今年は元気がなさそうだったのが気になりました。かんたんに「帰れるといいですね」とも言えない状況に複雑な思いの1日でした。

[5]2018年12月~2019年3月の主な活動について
①災害支援対策委員会
  第82回:2018年12月7日、第83回:2019年1月9日、第84回:2月8日、 第85回:3月12日
②「子どもの甲状腺検診」(生活協同組合パルシステム東京主催)
  2018年11月24日、12月8日、9日の計3回、受診者へのアフターフォローの相談窓口に会員を派遣し、相談支援を行いました。
③ワークショップ「サテライトオフィス見学」
④東京都災害福祉広域支援ネットワーク推進委員会(2019年3月19日)